どうもこんにちは、ナージフです。

僕は千葉県のド田舎で育った人間です。

 

特に裕福というわけではない家庭でしたが、

幸せに暮らしていました。

 

幼稚園時代

田舎で育ちました。基本的に外で遊んでいました。

よく覚えてはいませんが、

ワイルド?な事をかっこいいと思っていたようです。

 

幼馴染と一緒に遊んでいた時に、

お菓子の「カール」をわざと地面に落として、

「落とした方が味が出るんだ」

などと意味不明なことを言っていた記憶があります。

 

黄色いカールに黒い点々がついていた映像が記憶にあります。

 

 

小学校時代

入学した小学校は、学年でも2クラスしかない

小さな小さな小学校でした。

 

かなりの小規模学校だったので、全員が家族のように仲が良く、

卒業して10年経っても、毎年二回は集まっていましたね。

 

 

そんな小さな学校に入学した僕でしたが、

大変騒がしい子供でした。

 

塾の講師などをやっていさまざまな生徒を見てきた

今の僕から見ても、大変生意気な小僧でしたね。

 

殴ってやりたいです。(笑)

ま、子供はそのくらい元気な方が好きですが、、、

 

産休で代わりに来た先生が気に入らなかったので、

昼休み等に外に出て、次の授業が始まって10分位してから、

ようやくクラスに戻ってきたりしていましたね。

 

子供心にも反抗心なるものがあったのでしょうか。

 

他にも、

小学四年の時に、新聞を読んでいた母に聞いた、

「学校教育法第11条」の

校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。

という文言を暗記していって、先生にたたかれたときに、

勝ち誇ったように言ってみたり、、、

 

とにかく生意気でしたね。

その時はクラス中が笑ってましたけど。。

 

※体罰なんて全く気にしない先生だったのと、

また大らかな保護者が多かったこともあり、

割と先生も好きにやってました。

 

別の機会に、悪態をついた僕は、

その先生にぶっとばされて泣いた記憶があります。

 

当時好きだった女の子にも見られていたので、

恥ずかしくてダッシュで家に帰りました。

 

しかし、その勝手気ままな小学校生活も、

5年生になると、暗雲が立ち込めてきました。

 

T先生のクラスになってしまったからです。

 

 

T先生は、管理が好きな先生でした。

 

 

宿題をやってきたかどうかはもちろんのこと、

忘れものの数や手を挙げて発表した回数など、

すべて記録にとっていました。

 

 

それは特に問題ではなかったのですが、、、

 

今まで、休み時間に外に遊びに行ってから、

割とルーズに帰ってきていた次の授業ですが、

 

 

いつも通り帰ってくると、授業に入れてもらえません。

 

休み時間のために学校に行っていた僕には、

大きな問題でした。

 

 

軽くカルチャーショックを受けましたね。

 

「絶対に勝てない権力もある」

と悟った瞬間でした。笑

 

とはいえ、時間や期限を守る癖がついたことには感謝しています。

いやいやな部分もかなりあったと思いますが。。。

 

また、読み聞かせの時間には、

『橋のない川』を読んだ記憶があります。

 

とりあえず、世の中理不尽なことがたくさんあるんだなー

くらいにしか思わなかったのですが。

 

小学校6年になると、社会の時間は、

歴史を扱うことになっていました。

 

確か、5年生の秋くらいだったと思いますが、

 

どういうきっかけか、戦国武将にはまり出した僕は、

本を読みあさり、

 

武田信玄や上杉謙信、織田信長、毛利元就、

北条氏康、徳川家康、長曾我部元親、

伊達政宗、真田幸村、明智光秀、今川義元などなど、

 

講談社火の鳥伝記文庫に始まって、

学研の歴史群像シリーズなんかも読んで、

自分の辞世の句を考えたりしていました(笑)

当時は上杉謙信の高潔さに魅かれていましたね。

また自分が死ぬとき、幸村のように「日本一の兵」

といわれるにはどうしたらいいか!?

などと真剣に考えていました。笑

 

足は速い方だったので、リレーの選手になったりしていましたが、

長距離は大して速くなかったです。

 

しかし、

 

なんでも記録して活躍状況をグラフにするT先生の策に

はまった僕と黒いカールの幼馴染は、

 

マラソンの時期になると、二人して周回を競っていました。

 

準備体操もせずに休み時間に走り出したので、

とにかく、黒いカールの幼馴染は、ダントツで一位でしたね。

 

 

僕も意地になって走っていましたが、

彼には及びませんでしたね。

 

そんな黒いカールの友人も、社会では僕に勝てませんでした。

 

六年生になると、歴史新聞なるものを書く事になっていましたが、

戦国好きの僕は、ついつい張り切って書きまくっていました。

 

通常の児童が15枚から20枚程度、

多い人でも30枚程度だったのですが、

 

その時の僕は、204枚書いて、ぶっちぎりの一位でしたね。

ついでに市のコンテストで金賞ももらいました。

 

字も丁寧で、イラストもものすごく上手だった

女の子の新聞も一緒に出品されたのですが、

 

完全に量で駆逐しましたね!

 

 

この時僕は、

「圧倒的な量はすべてを凌駕する」ことを学びました。

 

中学校編

小さな小さな小学校出身の僕は、

地元の公立中学校に進学することになりました。

 

私立の中学校に行った友達を除いて、

小学校は全員が同じ中学校に入ったので、

心細さはなかったですね。

 

心細さはなかったのですが、

小規模学校出身ならではの驚きがそこにはありました。

 

 

1学年に、8クラスもあるのです。

3年生にいたっては、10クラスもありました。

 

面喰いましたね。

 

学年は主に3つの小学校から来た生徒で

構成されていたのですが、

 

残りの二つの小学校は学年に6クラスもあるような学校だったので、

完全に量で負けていました。